「鼠
鈴木商店焼打ち事件」
城山 三郎著
文春文庫
長期投資は売買テクニックや数値データに頼るよりも、ものごとの先を読む直感力とかセンスといったものが重視される。つまり、「人による」判断が決定的な差となる。
その意味で、これはと思う人物について片っ端から勉強していったものだ。それも、「こんなところで、そういった判断をするのか」と「人の力」といった部分に集中して。そこで浮上してきたのが金子直吉である。
いわずとしれた鈴木商店。20世紀のはじめから第一次世界大戦にかけて、急成長に次ぐ急成長で三井、三菱をもしのぐほどの大商社に成り上がった。その原動力が金子直吉という大番頭。
一介の米問屋で徒手空拳といった状態から、世界に鈴木ありとその名を轟かせるまでに至らしめた、金子直吉の経営手腕というか経営判断の切れ味には心踊らされるものがある。
その鈴木商店が第一次世界大戦後は積木落しのような没落となる。拡張一本ヤリで引くを知らない直吉の経営が限界を越えたとか、あまりの成功に世間からのやっからみが集中したとか、巷間いろいろ言われている。
惜しむらくは、こういった不世出の経営偉材に日本経済や社会は再起のチャンスを与えなかったことだ。機を読み断固たる行動がとれる「攻めの人間」は、そうそういない。
組織の論理からすれば規格外で扱い難いかもしれない。だが時代の大きな転換点では、そういった人間にしかできないことがある。
辛い間に長期投資は将来の納得(価値の高まり)に対し、いまの不納得(誰もその価値を読めない間に)で行動する。全体や組織の論理の先を行くことである。