小学生の頃、お小遣いとおやつ欲しさに、よく祖母の部屋を訪れていた。部屋では夕方に決まって大相撲の中継が流れていた。私が小学生の頃のヒーローと言えば、ウルフこと千代の富士である。体格は決して大きくはなかったが、自分より大きな相手の廻しをグッと掴み豪快に投げる様はブラウン管を通してもなお迫力を感じさせるものだった。
ある日のこと、千代の富士の取組みを見る機会が突然やってきた。相撲好きの祖母のために祖母の妹がチケットを取ってくれたのだが、当日、その妹が急逝しお通夜となった。大人たちは急なお悔みごとで相撲どころではなかったが、故人がせっかく取ってくれたチケットだからと、相撲好きだった私に白羽の矢が立った。流石に11歳で大相撲に一人で行くのは嫌だったが、「おやつを食べながら観てくればいい」と普段は聞けない親父の甘言に釣られ、まだ陽が高い時間から会場へ向かった。会場の人に誘われて着いた席は、まさかの正面審判の斜め後ろ。さらに驚いたのが次の一言。「ここは飲食禁止だからね。」…って、話が違うやん!と思ったが、そこはまだ小5の私。周りの雰囲気に委縮し無言。
気を取り直し相撲観戦へ。そして、注目の大一番は初日から単独12連勝の横綱千代の富士と地元九州の人気大関霧島との一戦。地元びいきの会場は霧島の応援一色。地元の声援を受けた霧島に無敵だった千代の富士が土俵下に吊り出され、私のところへ転がってきた。目の前には荒い息遣いのウルフと乱れ舞い飛ぶ無数の座布団…。
108kg国太郎の意気揚々と生きよう!
企画部 西島 国太郎
あれから26年。霧島には悪いが、負けた千代の富士の記憶しか残っていない。おかげ様でカラダだけは中3で千代の富士を上回るところまできたが、肝心な中身は空っぽのままだ。いつか砂かぶりで見た彼の大きな背中に追い付ける日が来るだろうか。千代の富士の訃報に触れ、焦る自分に千代の富士の言葉を借りてこう言い聞かせたい。「今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ。」さてと、仕事に戻ろう。