「今はレンコンを育てている。それとは別に友人と一緒に事業を立ち上げる予定だ。一度きりの人生、楽しみたいよね!」
2015年9月、金沢のセミナーで、このようにイキイキと話されるお客様がいらっしゃいました。それが今回インタビューをお願いした宮野さんです。
その笑顔から伝わるパワーやワクワク感はとても印象的で、日本や世界にこの雰囲気が広がればより明るい世の中になると感じたことがきっかけでした。
パワーの源は?
インタビューの開始早々、「パワーの源はなんですか?」と率直に聞いてみました。すると「お金に働いてもらいたいよね?」と笑顔で一言!
どうやらお金に働いてもらう感覚が身につくと、目に入るすべてのものに興味・関心がわき、毎日がワクワクするのだそうです。お金に振り回されない上手な付き合い方を、インタビューを通じて教えていただきました。それは、「リスク」を「チャレンジ」と捉え、楽しむ生き方です。そのような宮野さんのチャレンジ続きの人生をご紹介します。
逆境をチャンスに
石川県の金沢北部に河北潟(かほくがた)という潟があります。ここは1963年に、稲作地として民の要望から国営事業として干拓が始まり、1985年に約1100haの農地が完成した場所です。しかし完成当時、国は既に減反政策を進めていました。
宮野さんのお父様は、稲作に置き換わるものを探し、収穫期間が長い「レンコン」に目を付け、また効率性の観点から、小規模経営のレンコン農家に声をかけて法人化を進めたそうです。しかし、土地の購入に充てる借入金は今と違い金利負担は高く、初期投資等も含めかなりの借金を抱えたお父様をみて、20代の宮野さんは何とかできないか悩まれたそうです。
脱サラ
その頃、宮野さんは農協にお勤めでした。しかし、農業短大に行き、サラリーマン勤めをし、老後を迎えるという一般的な生き方に対し違和感をお持ちだったそうです。拘束時間は長く、何のため・誰のために働くのか見えづらく、その対価が妥当なのか疑問に感じたとのこと。
同時に、お父様の事業の資金繰りを見ていく中で、お金のある特徴に気づかれたそうです。それは、お金は貯めると腐るが、リスクをとると成長させていくことができるということです。そして宮野さんは将来に向けて、お金も時間も自由な状態を目指そうと、お父様の農業を継ごうと決断されました。
直販部 中津
家族への思い
事業を軌道にのせるまで20年という月日を苦労される中、本業以外でもチャレンジされました。事業を開始し10年ほどたったころから、ご自身のお金も働かせようとして出会ったのがさわかみファンドでした。ただし、その他にもアパート経営、自動販売機の設置、太陽光パネルの設置…と数々にわたり、さすがにチャレンジの域をこえていると感じた私は、その理由を聞いてみました。
「もっとお金の活かし方を知ってもらいたいが、大部分の人がリスクの取り方を知らない。少なくとも、まず自分の子供たちにお金の活かし方を見てもらいたい。これは目先のお金のやりくりの話をしているのではない。私のような経営者は収入源が1つの場合、行き詰まることがあると、自社の社員を守れなくなってしまう。同様にサラリーマンも、勤め先が破たんすることもあるし、家族が寝たきりになってもお金の都合で辞められなかったりする場合もある。お金を活かすというのは自分の選択肢を増やすということであり、みな手を伸ばせばいろいろ掴めるが、ほとんどの人が自分で壁を作っているように思える。自分の子供には、私のリスクを取る姿勢をみて、感じ学んでほしいと思っている。」
宮野さんが働かせたお金は収入を少しずつ増やしていますが、それに浮かれるどころかインタビューの中で笑顔が消え、真剣な表情でお答えいただいたワンシーンでした。ご家族への想いだけでなく、お金を働かせない生き方に対してまるで警鐘を鳴らしているようでした。
最後に、宮野さんの考える投資とは
「目先のお金を追うことをやめることだ。追い求めすぎてはいけない。アパート経営の教訓として、空き部屋が埋まらないからといって広告費をかけて集客するのは筋違いだ。
まずは人の求めるものを導入するからこそ、リターンが自分に返ってくるのだ。リスクとはチャレンジであり、それを経験した人こそ果実を得ていくことができる。」このような長期投資を、生きながらにして体現されているのが宮野さんでした。
人生を通じた投資は、結果として心の余裕と笑顔が生まれることを見せていただきました。
【直販部 中津】
宮野 徹 様
JA金沢市の蓮根部会で部会長を務める宮野さん。加賀伝統野菜のひとつ、「加賀れんこん」の普及に、テレビ出演や各地に足を運び調理方法や食べ方のレクチャーをされるなど精力的な活動を続けられています。