これからの日本では国民が自助努力で将来設計をしなければならない。人口動態からも明らかだが、日本はかつての経済成長を見込み難く、また公的年金や医療保険にみられる賦課方式は破綻の一途を辿る。ここ数年の投資環境の急整備や上昇相場は国民の自立を促す国策だが、思慮なしに株式市場へ参加してしまえば、その手に残るのはババではないだろうか。
電力株など産業の発展初期に中心となる社会インフラ企業に個人が資金を提供し、家計金融資産の半分を株式投資が占める時代がかつてあった。貯蓄信仰が希薄だった時代性を考慮すると、個人の投資目的は“儲けファースト”であり、産業育成の国策に乗せられたと考えることができる。財閥解体時には個人が全株式の7割に迫る所有欲を見せたが、最近の郵政グループ株売り出しに群がった様が当時を生きていない私にも想像を易くする。
その後の金融機関や企業同士の株式の持ち合いは“儲けファースト”ではなかったが故に長期的な企業経営の安定化に貢献した。但しガバナンスが無効で、平成バブル崩壊を節目とする経済のパラダイムシフトを乗り越えられなかった。持ち合いは株式所有の意義からは決して悪ではない。しかし緊張感のない所有は本質を得ず、高度成長経済をフリーライドした程度で意義を果たせなかったのだ。持ち合い解消に伴って存在感を示したのが外国人投資家である。世界中にリスクマネーを供給する彼らの多くは日本株式を投資対象の一部としか考えておらず、相対的に有望なら買うし、否なら資金を引き上げるだけだ。日本経済や企業に義理もない外国人が“儲けファースト”なのは間違いない。
3割を所有する外国人が昨年通年で日本株式を売り越した。代わって台頭してきているのがGPIFや日銀などの公的マネーだ。企業の自社株買いも手伝い、全体で外国人と個人の売りを全て吸収してしまった。この数年でおよそ25兆円を株式市場の下支えに用いた結果、GPIFで約30兆円、日銀で約10兆円分の日本株式を所有するに至る。全体に占める所有割合は1割に満たないものの、公的マネーが多くの企業の筆頭・大株主として君臨する様は異常だと言えよう。
残念なのは、それらのほぼ全てがインデックス運用だということだ。“儲けファースト”とはやや違い、株式市場を下支えした事実はあるものの所有意義は薄い(インデックス運用の是非は次号以降で触れる)。公的マネーによる相場は永遠に続かない。国は引き続きiDeCoなどをきっかけに個人マネーを引き込もうとしているが、所有の意義なく値を吊り上げられた株式に手を出してよいものだろうか。
資本市場では投資家の参加目的は問えない。しかし公的マネーの次の担い手とされる個人が、前に倣い“儲けファースト”で参加することには強い危機感を抱く。“儲けファースト”は株式を価格変動のみで捉えるため、高値掴みをさせられた株式をババと認識するだろう。しかし株式所有の意義を再考し視点を切り替えると、市場はゼロサムゲームのババ抜きではなくプラスサムの世界となる。社会に求められ成長する企業は常にエースに成り得るのだ。
“成長ファースト”で捉え、買収の可能性がある株価低迷時よりエースへの努力過程を応援した結果“儲かる”のが長期投資だ。投資される企業も、所有の意義を明確に見せる投資家の期待に応えようと努力をするはずだ。長期投資家は市場でババ抜きなどしない。企業を通じ実体経済が持続的に成長することに投資をしているのだ。
代表取締役社長 澤上 龍