釈迦牟尼すなわちゴーダマ・シッダールタの生涯に関しては、多くの書で足跡をたどることができる。そんな中でも、ちょっと異色なのが本書である。
ドイツの抒情詩人として有名なヘルマン・ヘッセが、釈尊についてどう著しているか。興味津々で読み進めていくうちに、ヘッセ特有の深い思索の世界に引き込まれていった。
深い思索の世界といっても、どこまでそれができているかは別として、その雰囲気に浸っているだけでもスッキリしてくる。いろいろな欲望や惰性的な生き方から自分を解き放って、自由に考えることの清々しさは、また格別である。
長期投資においても、あふれんばかりの情報に振りまわされ、とにかく儲かればいいといった考え方にガンジガラメとなったら終わり。あれも良さそうだ、これもいけそうだで、それこそ執着心のとりことなってしまう。
いつも心がけていることだが、物事を表層でもってとらえ、表層での判断をベースに考え行動してはいけない。いつでも物事の根っこから考えることに徹したい。そうしないと、上辺の現象に振りまわされて本質を見失ってしまう。
そのためには、「広く深く遠く」考えることを習慣化させる必要がある。次々と流れ込んでくる情報からインプットされる雑念を削ぎ落とす作業を続けることで、物事の本質に迫るのだ。
それをもって思索などというと、ヘッセに叱られそうだが、まあ良しとするか。