安全をコストと考えるのが危険であることは、誰もが理解しているだろう。例えば、安全を無視してコストを追求しハリボテのクルマを作るようなことは、自動車会社にとっても使う側にとっても無駄に過大なリスクを犯していることに他ならない。この様なことは製造業ではもちろん、金融政策においても同様である。世界的な金融緩和、野放図なマネー供給、貿易摩擦、地政学上の小競り合いは将来何を起こすのか。
2018年、19年とボーイング737MAXが離陸後10分程度で墜落するという事故が続けて起こり、この機体は全世界で運行停止・納入中断という事態となった。最新シリーズである737MAXは胴体長の違いで737MAX-7、同-8、同-9とラインナップされている。従来の737シリーズとの違いは新型エンジンを搭載したことで、燃費改善に優れている。しかし、従来のエンジンよりも大型化したことで取り付け位置を変更しなければならず、それによって機体の飛行特性が変わった。具体的には従来のものより直径が大きくなった一方で、主翼についているエンジンと地面の間隔は同じである必要があるため、取り付け位置を上にしなければならなくなった。更にエンジンは主翼に食い込ませることは出来ないので、取り付け位置を上にするだけでなく前方にも移動させる必要がある。これにより、従来よりも飛行中に機首が上がりやすくなってしまった。飛行機は機首が上がりすぎると失速してしまう。紙飛行機やホビーグライダーで機首に少々おもりをつけているのはそれを防ぐためである。
ボーイング社はこれを防ぐためにMCAS(操縦性補正システム)を採用。機首の左右にセンサーを取り付け、気流の向きから機首の角度を検出しそれが過大であれば自動で機首を下げるという仕組みである。このセンサーが異常値となってしまった場合、機首角度が適正であっても自動で機首を下げるという誤作動を起こす。その為にパイロットがオートパイロットを解除し手動に切り替えて対処できるようにもなっている。では誤作動を起こしているかどうかをどのようにパイロットが理解するかである。実はセンサーから送られてくるデータとコックピットのディスプレーに表示する機能、左右のセンサーそれぞれからくるデータが一致しない場合アラートが出る機能があるのだが、これはオプション(有償)となっており墜落事故を起こした2社はこのオプションを搭載していなかったのだ。航空機の場合、機体の設計変更などがあれば再度パイロットが訓練を受け直す必要があるなど安全にとても配慮している。ところが今回の変更は機体を選ぶ航空会社にとって追加コストがかからない、つまり追加訓練が必要の無いギリギリの変更にとどめていたことも対応の差に出た可能性がある。先に同機を運行させていた米航空会社において、このMCASに不具合からトラブルがあったという報告がなされており、同社のパイロットには注意事項として周知されていたようである。
また、ボーイング社固有の事情も見えてくる。報道によれば同社はコスト削減の為にシニアエンジニアを解雇し、アウトソース先(アウトソース先は数社あり、中には航空宇宙分野の経験が少ない企業もあったようだ)の企業の社員や契約社員を臨時社員として同機のソフトウェア開発やテストを行わせていたとしている。ボーイング社の元フライトコントロールエンジニアによれば、時給が9ドルの人がテストを行っていてすべてはコスト削減のためだと語っている。さらにはパイロットに追加訓練が発生した場合には1機当たり100万ドル払うと大口顧客と約束していたと別のエンジニアが語っている。
7月末に開かれたFOMCによって米国は政策金利を引き下げ、予防的処置として金融緩和の方向に動いた。それに加えてトランプ大統領による中国との更なる貿易摩擦(対中関税引き上げと対する中国の米農産品の輸入停止)、為替に関する対立で金融市場は動揺した。リーマンショック以降、金融緩和によって米日欧中の中央銀行の資産規模は3倍以上に膨らんだ。世界のGDPの成長が1.4倍程度にとどまっている一方で、世界の株式時価総額や政府債務はそれぞれ2倍以上に膨らんでいる。経済成長に寄与するというよりはマネーゲームに加担している状況とも言え、低金利を利用して企業は債務を増やしM&Aや自社株買いを通じて金融資産価値の上昇を促し、さらに生まれたマネーがより利回りの良い案件を求めて市場をさまよい信用力の低い資産にもお金が流れるというループを繰り返してきている。米中の問題はもはやどちらかが折れない限り続いてしまう様相を呈しており、長期になればなるほど世界へ悪影響をもたらす。中国としては米国大統領がもし再選されたとしても数年でトップが替わるまで我慢しておけば良い(中国には選挙が無いので長期戦は実は米国に不利)と考えている可能性すらある。現在、イランを中心とした中東外交の悪化、東アジア外交の悪化、EUの統制力の低下など、冷戦終結後のグローバリズムのゆり戻しが強烈に起こっており、重石であった米国の傍若無人ぶりに世界が辟易し始めている。全てをお金、コスト、経済だけで測ってきた弊害がここに来て噴出しているのだ。
江戸時代から229年続いている酒造会社の9代目の方が言っていたことが思い出される。「戦争がある、天変地異がある、大恐慌がある。この3つは覚悟しておけと先々代から教えられた」というものだ。これは欧州に残る本物のプライベートバンクのそれと似ている。日々の生活の中では感じることが難しいが、時代は大きく動いている。安全はコストではなく、払ってでも得たいものに変わるだろう。
【取締役最高投資責任者 草刈 貴弘】