つり革に手が届かないほどの朝の満員電車の中でさえ、乗客の大半がスマートフォン(スマホ)を握りしめ、小さな画面を凝視する光景は決して珍しくありません。コンビニのレジや駅の改札、海辺から山の頂上まで、今やスマホを見ない場所を探す方が難しいほどです。しかし、普及のきっかけとなったiPhoneが日本で発売されたのは11年前。一つの商品で暮らしの景色がこんなにも変わってしまうのかと思う時、私は「食」や「農業」の分野でも同様の変化が起こる余地があるのではないかと想像します。
日本の農家は現在7割が60代以上であり、新規就農者は減少傾向にあります。20年後、現農家の多くが畑を去っているでしょう。その時、食卓に並ぶ農産物は一体誰が作ってくれているでしょう。貿易自由化で廉価な輸入品が入るようになるから大丈夫? 国際情勢次第で価格の高騰や日本への出荷制限が起こればどうなるでしょう。また、耕地面積が3ha未満の小規模農家が8割を占める日本の農業は、農地再編によって大規模な効率経営を行えば生産者不足は解消するのでしょうか。地形や気象等の風土と一体の農業、そして僅かな休耕で土壌が変質する農地は、そう易々と合併できるものなのでしょうか。秋口には長野県産のりんごや茨城県産のレンコンが、私たちの手の届く価格で並ぶ何気ない売り場も作り手がいるからこそ。国内生産者が激減する将来、店の棚には何が並ぶのでしょう。正直、私は将来の安定した食料供給と、五穀豊穣を願う神事など地域文化と不可分であった農業の存続について悲観的です。ただ同時に、一見不可避的な社会課題の解決に、志と技術で取り組む企業活動から持続可能な新たな農業を見出すことも出来ると考えます。
そもそも、なぜ生産者が減っているのでしょうか。「ニーズがないから」ではありません。例えば、野菜・果実の産出額は約3兆3千億円、直近10年は年平均2%弱の成長を見せています。取引数量は減る一方、単価は上昇しており底堅い需要が想定されます。また、農作物の輸出額(5,661億円)は過去最高を更新し続け、中国では高値ながら贈答用に利用されるなど、日本産への味や安全性への高い評価が伺われます。海外市場の開拓にも大いに余地があるでしょう。では、どうして農業の担い手は減っているのか。
稼げないから? 農業技術や農作物の出来具合に応じて対価が支払われないから? 外国産にシェアを奪われているから? もともと農家の供給が過剰だったから? 私たち大人が農業の魅力を知らないから?
そこで、様々な仮説に具体的な企業の取り組みを照らせば、今後の農業の在り方が見えてきます。
市場に出回りにくかった美味不揃いの国内農作物を商品化し、個人の嗜好に応じた商品提案に長けた企業は、食の選択肢を広げながら新たな食のニーズを生み出しています。また、卸売市場を介さず農家と小売店を直接繋ぐことで、流通コストを削減し、生産者の手取りを増やしながら農家経営を支援する企業もあります。そういった企業は、小売店からも新鮮で顔が見える商品を並べられると喜ばれ、新たな販路と流通インフラを広げているのです。他にもWEB上で農作物の受注販売のプラットフォームを築く企業があります。生産者のこだわりと商品の魅力を発信し、個人から予約注文と前金を得ることで農家の資金繰りに貢献する。さらに購入者には、生育状況や農家の働く姿を適宜伝え、作り手の思いや苦労も分かち合うことで商品が届くまでの時間も味わっていただく。
これら活動の規模や流通量では、生産者の減少による食料の供給不安が早晩解消するとはいえないでしょう。しかし、農家を保護するでも、消費者の善意に頼るでもない。生産者、生活者、小売店の多様なニーズをITと経済合理性をベースにマッチングすることで、新たな流通・販売の仕組みを築く。そして農業を農家単体の事業とせず、生活者や小売店との関わりを含めた農産業として発展させることで、持続可能な食料供給の可能性を示しているように思われます。農作物を十把一絡げの商品とせず、古来より四季と数多の農家が育んできた田畑と農業技術、そして自然の恵みによってもたらされるそれぞれの食材の価値を、作り手と生活者の関係性を再構築することで市場に見出す新たな事業。その先に見える未来とはどのようなものでしょうか。テクノロジーが進化しようと、人が健康や食卓の団らんを変わらずに求めるならば、今ある食の豊かさを未来に繋ぎ、支えるイノベーションや事業は大いに調査する価値があります。
iPhoneの生みの親であるスティーブジョブズを、世界中をスマホのある風景に変えた革新者とするならば、誰もが安心して食材を手にいれられる未来の革新は、一人の天才ではなく汗水を流す農家と生活者、そして彼等を繋ぐ事業家によってもたらされるのではないか。そして、大量生産・大量消費を前提に国や農協が中心となってきた食料供給体制が軋む今こそ、それに代わる民間による新たな農作物の供給事業がビジネスチャンスとして広がっているのではないか。今はそのような漠然とした仮説を、満員電車の中でスマホと共に握りしめています。
【アナリスト 佐藤 紘史】