Sawakami Asset Management Inc.

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「会社は誰のものか?」と問われれば、(実態としての機能の有無は別にし)「無論、株主のものだ」と答えるのが正しい。しかし昨今、その正答が変わる兆しがある。国や経済圏の文化の差を越え、資本市場の目指すべきところが収束する可能性があるのだ。

“株式の持ち合い”によって圧力を避け、長年の蓄積から株主軽視の体質が染みついた日本企業。それが平成バブル崩壊を経て持ち合い解消を迫られ、外国資本の存在感が増し、2000年以降は株主を意識した経営を余儀なくされた。突然の黒船来航の如く、泰平の眠りから覚まされた日本企業は夜も眠れなかったことだろう。アクティビストたちによるIPO促進や株主還元の強化要請。リーマンショックにて一時は彼らの活動も沈下したが、安倍政権の企業統治改革に水を得て再び勢いを盛り返し、昨今は直接的に経営に関与するようになった。不採算部門の売却などの合理的経営、人権平等たる統治、低金利下での自社株買いなど徹底的な資本効率向上を求め、取締役の送り込みも辞さない。それにより日本的な長期経営が難しくなったとの意見もあるが、変われないことへの言い訳に過ぎない。

他方で権利主張の強い米国は“会社は株主のもの”として強烈な圧力に曝されてきた。かつては“おっとり経営”も可能だった米国も、資本市場の発展に伴い企業はより公的な立場となった。それが昨今、その米国から株主第一主義を否定する意見が挙がった。「会社は従業員や取引先、地域社会など全てのステークホルダーのために存在し、株主だけの利益を追求するのはおかしい」と言う。そのような一部の変説に“三方よし”の大義名分の陰に甘えてきた日本企業は目を輝かせているのではなかろうか。

米国は“三方よし”を意識し、日本は米国流の資本主義に近づいている。対極にあったものが双方から歩み寄るとの表現もできるが、少し違うように思う。地球規模で未来を憂う…そんな警鐘が人類によって鳴らされようとしている。「会社は誰のものか?」という問いに「現在そして未来の社会のもの」と世界が答える時代になっていくのだ。

さて、それまでの移行期間を我々はどう過ごすべきか? 昨今の米国市場の相対株高もあり、アクティビストたちが資本効率の未熟な日本をターゲットにし始めているではないか。しかし我々は“物言う株主”を過剰に恐れる必要はない。買収防衛策などによって“変わらないこと”への肯定は論外、買収屋が改善余地を見出せないほどに事前に改革を断行しよう。業績向上によって株高も期待でき、買収屋のターゲットから外れられるだろう。アクティビストによる“物言い”は通常、他の株主を巻き込んだ集団行動によってなされる。したがって企業の長期経営を支える応援株主が必要だ。企業と株主とで未来を育む対話をし、一時の利益に靡かない強い関係性を構築するのだ。

アクティビストは企業体質を一変させた。その点はプラスだ。しかし我々は彼らを看過できない。さわかみファンドは企業と共に歩むパートナー株主を自任しているが、黙って企業経営を見守るのとは違う。必要に応じ我々も発言・行動は行う。しかしそこに“未来を創造・共生する”という理想がある。そこが我々とアクティビストの違いだ。豊かな未来なかりせば、財産形成の意義はないのだ。

【2020.2.18記】 代表取締役社長 澤上 龍

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