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「会社は誰のものか?」と問われれば、(実態としての機能の有無は別にし)「無論、株主のものだ」と答えるのが正しい。しかし昨今、その正答が変わる兆しがある。国や経済圏の文化の差を越え、資本市場の目指すべきところが収束する可能性があるのだ。

株価が戻りを見せている(執筆日現在)。金融市場をパニックにさせた新型コロナウイルスの影響は落ち着きを見せ始めたのだろうか? 果たして株価は底打ちし回復へと向かうのか?

落差やその傾斜度からリーマンショックと比較される今回のコロナショックだが、多くの有識者が言及するよう双方には相違点がある。サブプライム問題・リーマンショックは金融の虚業部分の崩壊が原因だ。複雑・肥大化した市場の一端に生まれた綻びが連鎖的な下げを誘発し、その影響が実体経済にも打撃を与えるに至ったのだ。一方のコロナショックは、行動制限や生産減退のような実体経済の悪化懸念に市場が反応したものである。ウイルスによって経済というタイヤのチューブに開けられた穴から空気が噴き出し、その萎みゆく先の姿を恐れてリスクマネーを市場から退避させた。

新型コロナの経済的悪化をどう止めるか。通常の景気後退期入りではないため、不足した空気を注入し穴を塞げば元に戻る。よって各国政府の言う経済対策・財政出動は間違っていない。具体的には、コロナ禍によって資金繰りに喘ぐ企業の急死を防ぐこと。大量の資金供給にて急死後の雇用喪失、家計の資金不足を解消すれば、コロナ収束後に自転車は再び走り出すのだ。その安心感もあるのだろうか、株価は戻りを見せた。しかし忘れてはいけないことがある。リーマンショック以後、各国はマネーのバラ撒きや金利引き下げによる浮揚策(消費喚起は期待値に至らず)を試み、企業は投資家の求めに応じるままに資本政策を実施しファンダメンタルを強制上昇させてきた。つまり急落直前まで株高は金融政策によってつくられたものだということを。残念ながら今履いているタイヤは丈夫なゴムではなく、単なる補修材の塊なのだ。

過去に比類のない経済対策・財政出動でも根本的な経済は健全になることはない。補修材では長くもたないからだ。現在の株価の戻しはデッド・キャット・バウンスであり、未だ世界が金余りの証左だ。考えてみたい。世界に先駆けて株価を戻した日本は、五輪中止の回避による安堵感、日銀や自社株買いによる下支えが要因だ。本質的に株価が上がる(≠戻す)要素はない。むしろ危険なのは、余ったマネーが実体経済を見ずに金融経済を刺激し始めたらリーマンショック同様の総崩れを見ることになる。ゾンビ企業に生き残る余地はない。否、映画に出るゾンビが如何なる環境下でも蠢いていることを考えると、金余りで生かされた企業は単なる延命措置を施されているに過ぎない存在だ。カンフル剤を取り上げた瞬間に死滅する。資金供給の限界から市場金利が暴れ出したら宴は終わるのだ。

世界がウイルスを封じ込めたとしても、株価の二番底は十分にあり得る。それを受け入れ、この機会にタイヤを新しいゴムでつくり直すことが必須だ。では、今はリスクを避け市場からマネーを引きあげる時か? 短期投資家はそうするべきだろう。しかし長期投資家は違う。今こそ株価変動ではなく未来に投資するのだ。困難を耐え抜き未来を創造する企業、実体経済に求められる企業を支える時なのだ。身は安全を確保しつつ、しかしウイルスに無縁なマネーにはしっかりと働いてもらおう。積立など少しずつでも十分。時間はかかろうとも想いを乗せたマネーは新しい未来に向かっていく。小さな川が寄せ集まって大河となり海に注ぐ時、本当の上昇が始まる。いよいよ長期投資家の出番が来たのだ。

【2020.3.31記】 代表取締役社長 澤上 龍

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