ユニコーン(企業)の時代は急に終わりを告げられることになった。しかし運用視点では、それは必然であり違和感のないことだ。ユニコーンとは時価総額10億ドルを超える未上場企業のことで、アイデアと実行力を武器に大型の資金調達を経てのし上がっていく新興企業だ。新技術や新サービスで既存産業を駆逐するが如く急成長する様は、まさに幻の一角獣さながらの希少性を持ち、人を惹きつける魅力がある。
技術革新によって覇者が目まぐるしく変わる現代社会において、猛スピードで市場寡占化を果たすユニコーンの発現確率はそれほど低くないと言えよう。同時にまた、ユニコーンがもてはやされたのには古典的な金融商品の低利回りに嫌気がさしたという背景もあろう。日本にはユニコーンが生まれ難いと議論されるほどに、昨今、ユニコーンのプレゼンスは増したようだ。しかしそのプレゼンスが今、角のない縞々に移行しようとしている。ゼブラ(企業)だ。コロナによる社会の在り方の強制変容がきっかけだが、それ以前から叫ばれているSDGsなど持続的社会を求める風潮、言い方を変えれば利益至上主義への反発がコロナを機に市民権を奪ったと考える。
ゼブラの縞々は利益と社会貢献の両方を兼ね備えた様子を示している。ゼブラが注目されることは、きっかけが何であろうと社会および地球にとって優しい方向になるのは確かだ。しかし一抹の不安は残る。いかにゼブラが、掲げた大義や理念を追求した経営を推し進めようとも、資金提供者である投資家が値上がりの対象としてしか見ていなければ、いつかは「ゼブラの次は?」となる。つまりゼブラも余った金の一時的な配分先となり、単なるブームで終わってしまうのだ。したがって世間でも言われ始めている通り、投資回収の仕組みをしっかり模索しなければならない。(本来ならその解の一つが長期投資なのだが、市場参加者は多様であり統制は不可能、統制はむしろ市場を歪める結果となる)
更にもう一つの不安がゼブラの評価方法にある。流行のキーワード「貧困」「女性」「環境」などのような問題への解決に取り組んでいるといった基準を設けてしまうと、画一的になりかねない。真に大切なのは、ゼブラが進める本業がそれら問題を解決し得るかという長期目線である。よって未来を見抜く力が投資家には求められよう。加えて大義を成すまで待てる覚悟も投資家には必要だ。ESGのような表面的な尺度は、今は語れても未来を占うことはできない。ましてや、未来を共に歩むことなど考えてもいないはずだ。
本業で社会課題を解決しようと励む企業はそもそもキーワード不要であり、そういった企業は自らの高い目線をもって変幻自在かつ意欲的に前進するものだ。「ゼブラの次はペガサス(上場以前から自らの羽で十分に羽ばたける<収益を見込める>企業)?」のように投資先企業をラベリングするのではなく、投資家自身の哲学が求められる時代を待ちたい。いや、つくらなければならない。それは、投資家が企業を選ぶだけでなく、企業もまた投資家を選ぶ時代となろう。
【2020.10.6記】代表取締役社長 澤上 龍