コロナ禍で在宅勤務が増えた一方、子供の在宅“教育”も増加
昨年4月以降、小中学校の5割以上が臨時休校を50日以上行い(*1)、自宅で親が子供を見る機会が増えました。一方、医療従事者・小売業勤務・ひとり親等で在宅教育が困難な家庭も少なくありません。親の職業や世帯年収によって学ぶ機会(≒学力差)が以前より開きやすくなっているにも関わらず、在宅の生徒にオンラインによる双方向型の指導を行った学校は僅か5%です。この差は埋められないのか? 教育をサービス事業と捉えれば、塾・予備校を含めた約5兆円という巨大産業に民間が今より貢献できる余地はないのか? 本号では、①教育は誰もが能力に応じて等しく受ける権利をもつ一方、経済格差による教育機会の格差が厳然と存在すること、②学校現場に限らず私たちもこれからの教育に出来ることがあるのではないか、その可能性を考えたいと思います。
きっかけは、公教育の受け皿ともいわれる通信制高校(以下、通信制)の増加を知ったことです。全日制の学校数・学生数は90年頃をピークに減少の一途ですが、通信制は2000年以降に学校数が倍増し、257校に20万人以上が通っています。(*2)背景には日本の教育環境に潜む課題、その縮図が伺えます。
1.不登校とひとり親家庭の増加
通信制に通う生徒の過半数が小中時代に不登校の経験があり、2割前後がひとり親家庭です。(*3)不登校の生徒数は年々増え、全日制に代わる進路として通信制が選ばれる機会が増えています。
2.所得格差と進路
一人あたりの家計支出は横ばい(113万円前後)ですが、18歳未満の子供一人あたりの学外費は増え、塾費は世帯年収によって2~10倍の開きがあります(私立学校の学費は公立の3~14倍)。基礎的支出が困難な家庭ほど学費の負担は重く、結果として書類選考と面接(学力試験なし)で入学できる通信制を選ぶケースも増えているのでしょう。
3.多様なニーズとサービス
全日制を選ばず(選べず)、通信制に通う生徒の家庭環境は様々です。精神・身体的ケアなど個々の対応が求められる中、生徒毎に担任の教師を付け、卒業単位取得まで伴走する学校もあります。また、今夏の東京オリンピックで通信制在学中(または出身)の選手の活躍が見られました。学業とスポーツの両立、また映像や美容など、将来のキャリアに向け独自のコースを設ける学校もあります。
通信制の生徒は全体の6%と少数派です。しかし、上記課題やニーズは全日制に通う生徒にも潜んでいます。そして子供の成長を支える教育の課題は、今の子供たちが主役である未来の課題であり、それは私たちが今取り組むべき課題ともいえるのではないでしょうか。
さて、先に世帯年収による教育の差を挙げましたが、必ずしも経済的豊かさと教育水準は連動しません。経済大国となった日本が教育大国と呼ばれない理由と同様です。OECDによれば初等から高等教育にかける日本の財政支出の割合は加盟38カ国中で低水準(4%)です(家計の塾費等が公教育を支えています)。ICT(情報通信技術)の活用率と教師のやりがい度は最低水準にあり、各国が少人数教育によってきめ細かい指導に舵を切る一方、日本は1クラスあたりの生徒数がチリについで多く、中学校では32人です(各国調査平均は23人)。
よき教育とはどのように築いていけるのか
例えば、今でこそ国連の世界幸福度調査で1位、OECDの国際学力テスト(PISA)で上位常連のフィンランドは、90年代に深刻な不況(失業率20%)に見舞われました。その時、経済危機の克服には組織や企業、そして国全体の競争力が欠かせず、決定的に重要なのが“教育”だと位置付けました。各施策(国から地方への権限委譲、教科書検定の廃止、教師の修士号取得必須等)も目を見張りますが、教育を国の競争力の源泉とし、今も国民全体でその質の高さを担っていることに驚きます。教師が最も尊敬される職業の一つであるのは、教育に対する国民の意識の高さの現れでしょう。また教育をテーマに特化したベンチャーキャピタルがあり、民間の資本やテクノロジーとの連携も見られます(生徒の成長を支え指導の質を高めるアプリ開発企業への出資等)。
教育は、現状(社会保障費の増大・格差の拡大・人手不足等)を打開する未来への投資だと社会全体が認識し、国・組織・個人が各分野で教育機関と協力し合うことが大切です。運用会社であれば、子供の進学に必要な資産形成に繋がる運用パフォーマンスを出し、経済的理由で子供の可能性が狭められないようにする、また親御さんや学校向けへの長期投資の啓蒙やプロボノを行う等、まだまだあるはずです。
最後に、法によれば教育の目的は人格の完成を目指し、平和な社会を担う心身ともに健康な国民の育成とあります。小学生の時、陸上部の先生が「お前たちが速く走れようになるなら、俺は土だって食ってやる」そう言って四つ這いになり土の塊を嚙み砕きました。その年、私たちは市の駅伝大会で優勝し、以来走ることはライフワークになりました。私にとっては先の先生が示した本気と狂気が一つの教育だったように思います。時にはクレイジーな、愛のある本気の大人が必要なのは、いつの時代も同じなのかもしれません。
*1 文部科学省 令和3年度 全国学力・学習状況調査の結果
*2 文部科学省 令和3年3月 高等学校教育の現状について
*3 平成29年度文部科学省委託事業
「定時制・通信制高等学校における教育の質の確保のための調査研究」報告書
【アナリスト 佐藤 紘史】