多重下請け構造が引き起こす IT 人材不足
さわかみファンドは本業で社会課題を解決している企業にフォーカスを当てている。トレーダーである筆者が注目している社会課題は、先端 IT 人材が大量に不足するというものだ。ここで言う先端 IT人材とは、従来のシステムの受託開発や保守・運用サービスを担うのではなく、AI やビッグデータ、IoTを担う人材のことを指している。経済省の調査資料によれば、2018年の段階で先端 IT 人材は約22万人不足しており、2030年には約45万人不足する見込みだ。(IT 人材需給に関する調査 2019)
AI やビッグデータ、IoT はデータを活用した新たな社会構造を実現するためのコア技術であり、その人材が不足するような事態になれば IT で出遅れた日本が周回遅れになると危惧している。実は日本には現在90万人の IT エンジニアがおり、他国と比較しても米国、中国、インドに次ぐ4番目であり少なくない。しかし、これから必要とされる先端 IT 人材だけでなく、従来の IT 人材も足りない状況が起きようとしてい
る。この状況を引き起こしている問題の本質は多重下請け構造であり、これを絶好の機会として改善させることで、業界の労働環境の魅力を上げ、IT 人材を志す人を増やす必要があると筆者は考えている。
IT 業界に求められる構造改革
多重下請け構造とは、発注者から委託された業務がその元請け企業から下請け企業、そしてさらにその孫請け企業へと委託されていく構造である。大手の IT ベンダーが顧客である大手企業や官公庁を囲い込んでシステムを一括受注し、それを下請けに丸投げするのである。ゼネコンが牛耳る建設業界と同じ構造で “IT ゼネコン構造 ”と揶揄される。元請け企業も丸投げは禁止という体裁になっているが、結局は孫請けから安く人を集めて開発させているのが実態だ。
これにより2つの問題が起きている。1つ目の問題は費用の中抜きである。業務が下請けに流れる間に費用の中抜きが起こり、末端の企業では開発費が抑えられ、そこで働く人は低賃金となる。生産性の向上ではなく、人件費を下げて開発コストを抑えていくのである。2つ目の問題は元請け企業と下請け企業間のバランスにより、下請け企業に無理な開発スケジュールが強制されることである。開発スケジュールに遅れが発生すれば、下請け企業の下流工程の長時間労働で帳尻を合わせることになる。納期遅れは商流から外されてしまい、下請け企業にとって致命傷となる。
この結果、IT 業界には低賃金と長時間労働のブラック企業が蔓延した。更にこの多重下請け構造は IT 人材のスキルの分断を引き起こし、個人の成長の機会をも奪っていると筆者は考えている。システム開発のマネジメントは元請けが行い、システムの設計等の上流工程は一次の下請けが行い、プログラミングやテストの下流工程は孫請けや末端の中小企業が行うという分担が起こる。このため上流を担う企業は設計だけ、下流を担う企業はプログラミングとテストだけとなり、どの層の企業に属するかでスキルの向上に偏りが出てしまい、幅広いスキルアップが見込めない。このような構造では先端 IT 人材へのリスキルは難しい。
まず、先端 IT は従来技術の他に数学や統計や解析等、更に高度な知識が必要であり、学び直しの学習時間が必要である。しかし長時間労働では物理的に学習時間を確保できず、新たなスキルの習得がままならない。また、マネジメントだけ、設計だけ、プログラミングとテストだけといった局所的なスキルでは、データを活用したサービスの開発には向かない。データ活用を行う開発では課題の発見、設計、開発、テストのサイクルを短くし、高速で課題の解決につなげるアジャイル開発が必要であり、そのためには幅広いスキルが必要となってくる。やはり従来の IT 技術者のリスキルを促すには多重下請け構造の改善が必要である。
守りの IT から攻めの IT へ
では今後はどうすればよいか? IT 人材を今まで発注者だった企業内の消費者に近い所で開発してはどうだろうか? 以前は企業の基幹システムや業務効率化によるコスト削減がシステムの主目的であり、安く早く正確に作る必要があったため、決められたものを開発する下請け構造が機能していた。しかし、DX が求められるようになり、システムそのものが付加価値となり顧客の満足度を決定するようになった。これは大きな変化であり、今までのコスト削減の “ 守りの IT” から付加価値を生む “ 攻めの IT” へ変わることが必要なのだ。例えば一昔前の小売りの
場合、在庫をデータベースで管理できれば良い守りのシステムであったが、今は消費者が欲しいものを欲しいタイミングで売り、受け取りたい日時と方法で届けるといったサービスを、高度に複雑に制御する攻めのシステムが求められる。守りの IT は一度開発すればその後は保守・運用で済んだが、攻めの ITは常にサービスを改善しなければならない。コスト削減ではなく、付加価値を生む IT に経営の視点が移れば、日本でも IT 業界の技術革新のスピードが上がる。
多重下請け構造を止め、利用する人の顔を見ながら必要とされる付加価値を生むシステムを開発する状況になれば、中抜きの無駄が抑えられ、労働環境が改善しスキル向上の余裕が生まれる。それによりデータを活用した便利なサービスが次々に提供されれば、生活の利便性が大いに増すだろう。この三方よしの好循環が優秀な人材を IT 産業により集め、先端 IT人材の育成の基盤づくりへとつながっていくと考えている。
【トレーダー 新野 栄一】