かつての日本は上場を誉と考えていたようだ。自ら創立した企業を上場させることを夢見て、または上場企業に勤めることに憧れて。
「お前と違って俺は一部上場企業の部長だぞ!」と、品川付近の電車内で喧嘩相手を侮蔑する騒動を見たのは2年程前のことだったろうか。「ちなみに、どちらの企業ですか?」と声をかけそうになった。
侮蔑された相手がキレて殴りかかろうとしたとき、上場企業のおぼっちゃんの「殴るのか? 録画してるからな!」で相手が萎えて騒動はおしまい。時代錯誤の割には最新の喧嘩回避術に長けているおぼっちゃんに筆者は失笑してしまった。
なぜ上場しているのですか?
企業経営者を訪問する際に筆者がほぼ毎回聞く質問だ。
「知名度も上がり優秀な社員を獲得できます。もちろんご存知の通り、必要に応じ資金調達も考えないといけませんので」と先方経営者。
「御社ほど有名でキャッシュリッチであれば上場は必要ないのでは?」と筆者。
「正直に言うと、上場の理由をあまり考えていませんでした。私が就任する以前から上場していたもので」と先方経営者。
経験則では約7 割の経営者が上場の意義を答えられない。
上場企業は会計等の公開義務があり、その知名度から様々な目に監視されているため“ 規律ある企業” と言えるだろう。ゆえに冒頭の『上場企業に勤めること=優秀な人』というロジックも理解できる。高スペックな素性が担保されているという意味でだ。
しかし、上述の「上場の理由をあまり考えていませんでした」から察するに、日本では上場そのものが目的化され過ぎているのではないか。そうであるならば、上場によるコスト(様々な直接経費、そして投資家他に割く時間などの間接経費)は企業にとって無駄でないか。そのくらい負担は大きい。
海外の上場企業は取締役報酬がなぜ高いのか?
海外企業は上場をまるで別の意味で考えているように感じる。どこで聞いたかは忘れたが、「株主に巨額の富をもたらすのだから、相応の報酬は貰ってしかるべきさ。それができなければ首が飛ぶからね」といった話を記憶している。
つまり経営者が上場の意義、そして自らの役割を明確に認識しているのであり、かつ上場は目的ではなく手段だということがわかる。高額な報酬を手にするためには友好的・敵対的関係なく全ての株主を納得させる責任を経営者は負っており、直接的な責任を果たす方法が株価の上昇だ。
株価さえ上げれば自らの報酬は約束される…それが未来から借りてきた利益だとしても、「今どうなのか?」が問われている。
無論、次の経営者は自身の代でも株価を最大限に上げる努力をする。その努力の連鎖が確保できるなら結果論として株価はもちろん、企業業績も向上していくのかもしれない。
上場ってなんだ?
企業は社会の公器と唱えたのは松下幸之助氏だ。同氏の「株式の大衆化」では、そういった公器たる企業に国民が投資をすることが国を、自らの富を、そして未来を繫栄させる合理的な方法だと訴えたのではないか。そう、そこに誰でも資本参加できる上場の意義があるのだ。
もしそういった意義を見失っている企業があるなら、一旦、上場を取りやめてみてはどうだろうか? そしてそういった意義を知らずに投資するのは、やや無責任だと考えるべきなのではないか? 株式投資にはそれだけの本質的魅力がある。
【2023.1.17記】代表取締役社長 澤上 龍