「オオカミが来るぞ!」と何度も叫んできた。しかし、なかなかその姿を見せない。不安の中にいる人々の共感を得たいから? それとも単にオオカミ少年の如く愉快犯? いや違う。事実、オオカミは姿を見せていないだけで、すぐそこにいるのだ。
オオカミはまだ来ない
リーマン・ショックの傷を癒し景気浮揚を狙うための緩和政策はずいぶんと長く続いた。いよいよ出口を模索しようという段階でパンデミックが世界を止めた。人類は苦しみつつも戦い抜きそれを制した。結果、緩和の出口を探る機会を逸した。
世界のあり様は変わった。各国は保護主義に陥り、サプライチェーンは崩れ、争いは絶えず、そしてモノの値段が上がり始めた。人の本質は変わりようもないが、意識や視座は環境によって変わり得る。人はより目先のことを求めるようになった。
世界を止めるだけの事象があったにも関わらず、なぜ資産価値は上がり続けたのだろうか。マネーは移転のたびに価格を動かす。人気同様、集まるところは高くなり、去るところは低くなる。その変化を捉え先回りするのがアセット・アロケーションだ。しかしもはや、そんな伝統芸も無効化したと言っていい。マネーが方々の金融資産に行っているからこその全面高、すなわちマネーが溢れ過ぎた。
溢れるほどのマネーはどこから生まれた? 未来から借りてきたのだ。いずれ返すべきマネーに踊り、我々は今を謳歌している。オオカミの存在を認識しつつもギリギリまで踊りたい。そのような中で舞台を解体できようもない。それが今の金融業界だ。オオカミはまだ来ないと言いながら。
オオカミはいずれ来る
オオカミ少年は「オオカミが来た」と言った。我々は「オオカミが来る」と言う。“来た”と“来る”では時間差があるものだが相手はオオカミだ、恐れるに十分。すぐにでも来るような印象を与える。
寓話では、オオカミが来た際に少年の言葉を誰も信じず、少年(あるいは彼の羊)はオオカミに食われてしまった。腹いっぱいになったオオカミは山へ戻っただろう。
しかし暴落という名のオオカミは底なしの胃袋を持つ。そして同時刻にすべてを喰らいつくす。来てからでは遅い、来る前に対処するのだ。ゆえに「オオカミが来るぞ!」なのだ。
地震同様に予期できない事象に対し過剰な不安や怯えは無用だ。さりとて予期できないからと目を瞑るのも禁物。準備万端であれば恐れることはない。むしろ、いつ来るか分からないものに怯えて過ごすくらいなら、さっさと迎え撃ちたいものだ。傷はつこうが前だけを向ける。
さわかみファンドは準備万端である。そして既にその先の未来を見ている。さぁ、オオカミよ、来い。長期投資という鉄砲をもって、お前の“欲望”を消し去り、“期待”に変えてみせる。
【2023.11.21記】代表取締役社長 澤上 龍