前回、“投資が単なる金融商品となり、もはやコモディティにまで堕ちた”と述べた。個人投資家が気にするのはリターンのみ。金融業者が競うのは手数料の引下げのみ。なぜかって? 金融商品に特徴や差異を求めなくなってきたから。その結果、金融業者から商品の説明はされなくなり、代わりに“長期・つみたて・分散”といった『個人投資家のとるべき手法・心構え』がキラーワードとなった。“長期・つみたて・分散”は確かに有効だが、それを言い出した時点で金融業者、そして金融商品の存在価値は危うい。いずれにせよ、手数料引下げ合戦に疲弊して消滅するところも現れるのだろうが。
“運用”の凄さ
企業の努力はすさまじい。我々は喉が渇いたと言って気軽に自販機でお茶を買い、疲れたと言ってタクシーに乗る。車内ではスマホで世の中の情報を集め、SNSで自己主張を行う。決して自分一人の力ではかなえられない普段の生活、それらを驚くほど安価に供給してくれるのが企業だ。どれだけの研究開発、生産ノウハウ蓄積、ご苦労があったのだろう。何年、何十年と培った努力の結晶のはずだ。
そんな努力の結晶を一瞬で手にすることができるのが投資運用だ。企業の株を持つということは、その持ち分に応じた所有者になるということ。この一点だけでも投資運用が凄まじい力を持っていることがわかるだろう。しかも複数の企業に投資をすれば複数のノウハウや事業を所有でき、更にそれぞれの事業で補完関係を組めば、経済・社会変動に対するリスク分散(多角化)も実現できてしまう。それをポートフォリオという。
“運用”の課題
ポートフォリオを組めばいとも簡単に企業を所有でき、かつリスク分散の事業多角化もできる。経営やグローバルビジネス未経験の個人投資家であっても、複数への企業投資を通じて複数の(その道の)プロを雇えるのだ…と、良いこと尽くしの投資運用だが、もちろん課題もある。それも大きな課題が。
然らば、投資先の企業がリスクをとって事業多角化をする必要はない…なぜなら個人投資家は簡単にできるのだから ⇒ だとしたら、企業はその分のお金を資本政策(株主還元)に回し株価を上げることに集中するのが合理的…なんならROE改善が期待できるようギリギリまで(借入をし)自己資本を削ってもらおう ⇒ 企業が倒産しても個人投資家のポートフォリオは一部の毀損で済む…リスクはせいぜい出したお金の分だけさ。
企業が消えてしまうと、そこで働く従業員、取引先・関係者の生活がなくなり、巡り巡って個人投資家の生活にも影響を及ぼすだろう。何より、先述したお茶やタクシー、SNSなどのような当たり前の生活の一部が消えることに繋がるかもしれないのだ。
有限責任ゆえに投資運用は誰でも気軽に参加しやすいという良さがあるものの、企業に過分な負担を背負わせてしまう可能性もある。PBR改革に賛同するような短期投資家の主張や、または投資運用を資産形成という側面からしか見ることができない業界風潮が続くならば、我々は明確に“運用”と決別し、投資家一本やりとなろう。
なお筆者は、ポートフォリオ戦略を駆使してリターンを狙う行為を“運用”とし、企業との対話を通じて未来の可能性をともにする行為を“投資”と区分している。いま、世の中で圧倒的に足りないのが投資に対する考えだ。(続くかもしれない)
【2024.2.7記】代表取締役社長 澤上 龍