わたしは、世に、人に何が遺せるんだろうか。
慌ただしい日々の喧騒の隙間で、たまにふと考える。
後世に遺るような立派な建築物を設計できるわけでもない。ずっと親しまれ続ける映像作品や音楽を生み出せるわけでもない。けれどもしかしたら、一片の言葉くらいなら、誰かの記憶に残り続けるかもしれない。
誰かを想うのも、何かをじっくり考えるのも、日々の小さな閃きも全部「言葉」から始まる。だからこそ、わたしは「言葉」に真摯に向き合う道を選んだ。誰かの背中をそっと押せるような言葉を。悩む誰かの隣で寄り添える言葉を。くすっと頬が緩むような言葉を、そんな言葉たちを生み出せる人でありたい。
では、わたしは「言葉」で何をかなえたいのか。それは大きく分けて3 つある。
子どもたちの笑顔を増やす
1つ目、子どもたちの笑顔を増やすこと。今回「夢応援者」に選んでいただくきっかけになったエッセイ「今度こそ、サンタに」でも紹介したが、NPO 法人の「ブックサンタ」という取り組みがとても素敵なので、ぜひもっと広がって欲しい。
日本のどこかに住む、顔も知らない子どもたちのために、本を選ぶという愛。一人ずつの支援はわずかでも、その輪が大きく広がれば、笑顔になれる子どもたちが増える。子ども時代に何を思い、何を感じたのか。それは大人である自分を構成する大きな要素でもある。そして愛された記憶、幸せな記憶は、心のお守りとなり、人生をずっと支えてくれる。愛をもらった子どもは、いつかまた誰かにそのバトンを渡せるようになる。
しかし現状、本が必要な貧困家庭の子どもたちの数に対して、本やそれを届けるサンタさんの数がまだまだ足りない。「ブックサンタ」の認知度を上げて、どこかで咲く子どもたちの笑顔を増やすために、書くという手段で貢献したい。
日常の豊かさを描く
2 つ目、日常の豊かさを描きたい。暮らしや仕事の中で無数に出会う気づきや喜びも、日々を繰り返す中でぼんやりと輪郭が曖昧になり、日常に溶けていく。きっと幸せとは、滅多にない特別なことよりも、日常に転がっているありふれたことだと思う。そんなささやかな一瞬を言葉として紡ぐことで、毎日はより彩りを持つのではないか。そして文章を読んだ人にとっても日常に思いを馳せるきっかけになったらいいなと願っている。
わたしは小学校教員として働いて10 年目になるけれど、「学校」という日常も描きたい。世間では、先生の仕事の「ブラックな面」が注目されがちだ。そして、教員採用試験を受ける人の減少も止まらない。先生はこんな想いで働いている。やりがいだってある。もちろんわたしの発信することは、一人の想いでしかないけれど、少しでもイメージを変える架け橋にはなれるかもしれない。
書籍を出版したい
3 つ目、個人的な夢の集大成としていつか本を出版したい。「子どもたちとの風景」「食という幸せ」「何気ない日常」どんなエッセイになるのかまだ具体的に描けてはいないのだけれど、「本」という少なくとも半世紀は形として遺るものになることで、わたしという人間が生きた証にもなってほしい。
これからの活動について
と、ここまで夢を3 つ挙げたけれど、これらは全て読み手がいないと始まらない。ここ数年で人々があらゆる手段で手軽に「自分」を表現し、発信することができるようになった。令和の世はまさに大航海、いや大公開時代だ。
そんな数多の「言葉」が溢れる大海原において、有名人でもなく影響力があるわけでもないわたしの言葉は、本当にちっぽけでまだまだ小さな小舟だけれど、それでも漕ぎだした先にある景色を見てみたい。さわかみ投信さんをはじめ、こうやってわたしの文章を読んでくださる皆さまの声を背に、わたしの旅路は今始まったばかりだ。
碧魚 まり
note というSNS でエッセイを書き始めて4 年。いつか文章を書くことも仕事にしたい小学校の先生。食べること、書くこと読むこと、ことばにまつわることが好きな1992年生まれ。