日々の生活で、お金に想いを乗せて手放していると実感することはあるだろうか? 推し活や寄付などはまさにそれだろう。返礼品目当ての“ふるさと納税”は残念な状況だが、純粋で且つ見返りを求めない寄付には尊さを感じる。私個人としては寄付の難しさゆえにあえて避けているが(この件は来月の本誌で考えてみたい)。
話を戻し、お金に想いを乗せるとは? 私が思う“お金に想いを乗せる”とは、その消費・投資行動に未来を豊かにする意思があるかどうかということ。お金は経済における血液のようなもの。次から次へと人の手を巡るお金が、関係者それぞれにプラスを与えられたらどれほど素晴らしいだろう。結果としてのプラス・マイナスではない。意思があるかどうか…その選択は個人である私たちに委ねられているのだ。
理想はわかるが生活が苦しい
日本の給与水準が上がってきている。企業にとって楽な決断ではないだろう。世界のインフレ基調や円安もあって仕入価格が利益を圧迫する中、十分な価格転嫁ができていない。政府の賃上げ要請だけでなく人材の確保といった理由もあり、引き上げは致し方ない状況だ。しかしそれで個人が豊かになっているわけではない。実質賃金はいまだマイナス…給与よりも物価の方が上がっているためだ。
日本は平成になって経済が下を向いた。失われた30年余、国民にデフレマインドがこびりついてしまった。安さを求め、ポイントや粗品を求める姿勢が美談となるあり様だ。これでは国が強くなるわけがない。しかし生活が楽ではない事実もあり、お得を狙う姿勢を一方的に否定はできない。すなわち、お金に想いを乗せるなんて理想論よりも、現実を見て賢く生き抜くのが正しい現在だ。
永遠に抜けられない沼にいてもいいのか
それで未来はあるのか? 誰かが一歩を踏み出して好循環をつくらないと。政府が企業に圧力をかけている背景はそこにある。しかし個人がついていけていない状況で、果たして私たちは好循環に入れるのだろうか。
個人は経済において最も強く大きい存在だ。その強さは、それこそ昭和最後のバブル崩壊を契機に企業から個人へと移転した。それまでの企業が経済をけん引する成長期から、個人が選択肢を持つ成熟期へと転換されたのだ。そんな私たち個人が勇気をもって未来を育む姿勢を見せたらどうだろう。企業が頑張るなら個人も応じたらどうだろう。具体的には企業の価格転嫁を受け入れること。その分、消費において必要なもの・不要なものと仕分けをしなければならない。つまり本気で“選ぶ”ということだ。
選ばれた企業は成長でき、選ばれなかった企業は努力を重ねて改善を図る。そうして経済の質が上がっていく。下手な詐欺やいかがわしいものに飛びつかず、お金に想いを乗せ、未来の担い手の覚悟を持ってお金を手放してあげるのだ。
重要になってくるのが企業だ。企業活動は社会課題の解決や未来社会の成長を見据えるのが原則。個人や国が強い立場であろうとも、それに迎合せず、企業の意思(理念)を語るべき。意思を紡いでいける永続性ある人格が法人、つまり企業なのだから。いま個人は希望を示すリーダーを待っているのだと思う。それを企業が見せるなら、消費も投資も、つまりお金の流れは未来志向の想いへと収束していくはずだ。
そうした状況を支えるために資産運用が求められ、私たちは結果を出さなければならない…。
【2025.1.8記】代表取締役社長 澤上 龍