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大切なおカネ、あなたは一体何に手放している? “未来の期待へ”ではないだろうか。今晩の満足のため、来週の準備のため、来年の結果のため、10年後の納得のため、老後の安心のため。対象も目的も金額も様々。しかし決して過去におカネを投じない…常に未来に対してだ。
おカネの手放し方には種類がある。極めて大衆的な消費に加え、日本では馴染みの薄い寄付、そして最近流行りの投資。どれも何らかの未来を期待しておカネを手放しており、言い方を換えれば、消費も寄付も投資も“未来の社会づくり”に繋がる。しかし残念ながら、手放す個人がその意思を持っておらず、または性質上の問題で発揮しづらい状況。せっかくの“社会づくり参加権”。皆が想い想いに行使すれば社会は更に面白くなるのに。

 

おカネを手放すことが、なぜ未来の社会づくりに?

モノやサービスの購入時、機能や価格以外にも考えたいことがある。それはモノ・サービスが生まれる過程での社会性や、提供する企業の意思や理念だ。環境や人権に配慮した生産を心がける企業を選ぶなど、消費には想いを乗せることができる。つまり“単なる消費”ではなく“優しい社会を願う消費”となる。そんなあなたの想いある消費に応じて、おカネを受け取る側;理念ある企業で働く人々もまた、おカネに想いを乗せて手放すだろう。連鎖する消費行動が人々の想いを紡いでいくように。
社会活動を直接応援する寄付…その社会性は説明不要だろう。投資も企業を選ぶ点で消費と同様、おカネに想いを乗せられる。しかし一般的な投資の対象範囲は広く、金(ゴールド)や暗号資産など応援に値しないものも含まれる。金や暗号資産は“意思を持たない”金融商品で、それらの購入は投資ではなく投機。本当の投資とは株式;企業の所有権を持つことを指す。つまり企業の意思に寄り添い、未来の可能性を共に歩むのが投資であり、すなわち社会づくりに直結するのだ。

 

おカネを手放した時点で満足しちゃってない?

想いを乗せたおカネはきちんと使ってほしい…手放す側からすると当たり前の願いだ。しかし消費と寄付は性質上、おカネを手放した時点で役割や責任が相手に移転し、よってその先の活動を真剣にフォローすることは稀となる。極論すると良い消費・寄付をしたらおしまい、人は満足してしまうのだ。他方で投資はどうか。投資は消費や寄付と違い、おカネが消えてなくならないもの。帳簿上だと、おカネが有価証券に振り替わるだけで変わらずあなたの資産のまま。つまり保有する限り気にする必要があり、更には議決権行使などの責任も背負う。したがって社会づくりのコミット度合いは株式投資が群を抜いている。(寄付先に対する責任のなさゆえ、寄付は投資よりも難しいと私個人は考えている)

消費も寄付も、そして何より投資には未来を変える力がある。だから相手を選ぶことが重要で、長期でコミットすることもまた…本当の投資とは必然的に長期応援投資となる。ここまで書いてきて、昨今は意思・責任感のない投資が跋扈していることを思い出す。消費もそう、ただ安くお得であればいい。寄付なんてしない、返礼品が期待できないなら。そして投資は儲からなければ意味がない。流行の米国インデックスファンドを買っておこう…と。社会づくり参加権を知らない人が増えたようだ。
そんな個人主義の文化を今後、結果をもって変えていきたい。

 

【2025.2.20記】代表取締役社長 澤上 龍

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