WHY? HOW? 経営判断を伝える際、社員からそれらを“明確”に求められることがあると思う。「なぜそのような判断を?」が全社員に脳内完全一致すると、ストレスも不信感もなく前進できるだろう。「具体的にどうすれば?」が分かれば、間違うことなく事業を遂行できるはずだ。しかし果たして、物事の明確化・明文化は組織に対して常にプラスを生むだろうか。むしろ時間を経て組織を脆く弱いものとし、永続性を奪ってしまう可能性があるのではないか。
思考・構想を奪う明文化
行動指針や方法論について明確に記される意味はどこにあるのだろう。後々に確認するための決め事・約束として? 誰もが迷うことなく、そして憂いを残さないために?例えば、競技や契約において解釈に幅を持たせていると問題や事故、争いが起こりかねない。他方で事業のように変化や成長を是とする事柄については、解釈の幅は柔軟性を確保させる。曖昧性や明確性は求められる状況によって変わってしかるべきだが、昨今は明確性のみを求める風潮にあるような気がする。
極論を言うと、方法論やマニュアルが明確であるほど担当者の思考が止まる。考えずとも作業ができるから。最も分かりやすい例が企業理念だ。理念を事細かく記すと時代変化に鈍重となる。理念に基づいて指針を発布する経営者に万一があれば、船頭を失ったその組織は航続不能で解散するかもしれない。逆に社員一人ひとりが理念を咀嚼でき、必要なことを自ら考え行動できる組織は強い。幹部育成のような一部社員への教育ではなく、全社員が自由に発想できることが理想だ。
ジョブ型雇用の難
「代表印を預けるなら誰?」と質問されたら、能力のある人とは答えず「信頼できる人」となる。再度極論だが、能力はお金で買えても信頼は買えない。ジョブ型雇用が信頼を醸成しないとは言わないが、業務範囲や働き方が限定されると極限環境での人間性を図れなくなる。例えば、大切な顧客から深夜に助けを求められた場合、業務時間外・専門外だからと無下に断るか。出来る・出来ないではなく、一緒に解決方法を考えるのが人間らしさ……仮に断る結果になったとしても。
信頼とは苦楽の共有など時間経過で醸成されるもの。善し悪しは別に、仕事でも飲み会でも「いつも彼・彼女は顔を出して私の考えや行動を見ているな」といった時間の積み上げが大切。あえて暴論を言うならば、仕事しかしない人には、仕事しか与えられないのだ。
曖昧性は時に迷いを生むが、そもそも未来への歩みは迷いの連続だ。道を選び、時に間違い、正しい道を模索し、そして社員を先導する。変化の激しい時代を乗り越えるために経営者が社員と共有すべきは、明確な指示ではなく、判断をするための軸。現場を共にして考え方を共有する時間をつくるのだ。社員側は、完全に腹落ちせずとも「こういうことだろうな」と推察し、社員同士で議論し、明確性を得ないまま“信”に沿って前進を続ける。
投資もまた、実はまったく同じことが言えると思う。なぜなら投資する相手は人間なのだから。指標や価格にお金を投じるのは投資ではなく運用。曖昧なのが人間であり、未来なのである。明確性だけで勝負をしていたらAIには勝てない。
【2025.3.15記】代表取締役社長 澤上 龍